私たちの研究室では、糖および脂質代謝が心血管系や呼吸器系の細胞・組織に及ぼす影響の解明をメインテーマとし、生活習慣病の予防を目指した研究を行っております。
遊離脂肪酸は脂質や糖質の摂取によって体内に蓄えられた中性脂肪が分解されることで血液中に放出され、生体が活動する上での重要なエネルギー源となります。しかし、脂質や糖質の過剰な摂取と運動不足による利用低下が続くと、血液中に遊離脂肪酸が蓄積し、高遊離脂肪酸血症をきたすことが知られております。過剰な遊離脂肪酸は、様々な細胞機能障害を引き起こし、心血管イベントの発症に密接に関与していることが示唆されています。遊離脂肪酸は、構成成分として飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸、多価不飽和脂肪酸とに分けられますが、これら各脂肪酸分画の心血管系における直接的な影響については断片的で、未だに明らかにされておりません。
私たちはこれまでに、飽和脂肪酸が心臓においてアポトーシスの誘導や、脂肪酸代謝の過剰亢進に伴う機能低下を引き起こすこと、血管においては平滑筋に作用して石灰化を誘導するなど、心血管病の悪玉因子である可能性を明らかにしました。また、細胞に取り込まれた飽和脂肪酸を不飽和脂肪酸へ変換する作用を有するStearoyl-CoA desaturase-1(SCD1)(図1)に着目したところ、内臓肥満ラットの心臓においてSCD1の発現が著明に増加すること、逆に動脈硬化病変部において著明に減少していること、さらに飽和脂肪酸の種々の悪玉作用に対して、SCD1が保護的に働いていることを見出しました。以上の結果から、SCD1の局所的な活性の亢進または低下が、細胞内の脂肪酸分画のバランスを変化させることで、心血管病の発症および抑制に強く影響していることが示唆されました(図2)。(PLoS One. 2012; 7:e33283)
さらに私たちは、飽和脂肪酸および不飽和脂肪酸の脂肪酸鎖長を伸長させる酵素であるElongation of long chain fatty acid member 6 (Elovl6)(図1)についても検討しました。その結果、Elovl6も心筋細胞や血管平滑筋細胞に発現しており、動脈硬化初期の新生内膜で発現が著明に増加していること、また、血管平滑筋細胞にElovl6を過剰発現させると、平滑筋の細胞増殖が促進することを見出しました。以上の結果から、Elovl6も局所的な活性の亢進または低下が、心血管病の発症および抑制に強く影響していることが示唆されました。(J Am Heart Assoc. 2016, 5(12): e004014.)
近年、呼吸器疾患は日本人の死因順位の中で、悪性新生物、心疾患に次ぐ第3位を占めることが知られておりますが、生活習慣、特に食事や栄養成分と呼吸器疾患との関わりについてはほとんど明らかにされておりません。また、肺サーファクタントは約9割が脂質で構成され、肺胞の虚脱を防ぐとともに、外敵からの生体防御に重要な役割を果たしておりますが、肺の脂質代謝と呼吸器疾患との関わりに関してもほとんど明らかにされておりません。
そこで私たちは、肺におけるSCD1とElovl6の発現および病態意義について検討を行ったところ、SCD1、Elovl6ともにⅡ型肺胞上皮細胞に発現が認められました。また、肺線維症の標本でElovl6の発現が減弱すること、Elovl6欠損マウスにブレオマイシン気管支投与を行い肺線維症モデルを作成したところ、野生型マウスと比較して著明な肺線維症の増悪を認めました。さらに、マウスの肺から脂質を抽出し、脂肪酸組成を測定したところ、飽和脂肪酸であるパルミチン酸の増加、不飽和脂肪酸であるオレイン酸の減少を認め、増加したパルミチン酸がⅡ型肺胞上皮細胞における酸化ストレスの亢進や、線維化の重要因子であるTGF-β1の発現を誘導することも明らかにしました。したがって、肺においてもElovl6の発現低下が、細胞内の脂肪酸分画のバランスを変化させることで、呼吸器疾患の発症に強く影響していることが示唆されました(図3)。(Nat Commun. 2013; 4: 2563.)
以上のように、私たちの研究室では、脂肪酸の「量」だけではなく「質」に着目して、血液中および組織内の脂肪酸分画のバランスが心血管病および呼吸器疾患にもたらす病態意義を検討すること、さらにその脂肪酸分画の組成を調節しているSCD1、Elovl6に着目し、心血管病、呼吸器疾患の各病態における発現動態や様々なストレスにおける発現制御機構、病態への意義を解析することで、脂肪酸分画と触媒酵素に着目した生活習慣病の予防戦略を検討しております。